前田利家は、天正6年(1537)、戦国乱世の真っ只中、尾張国荒子村(現・名古屋市)の土豪前田利春(利昌)の四男として誕生します。15歳で織田信長に仕え、尾張海津(萱津)の戦いに初陣して以来、次々と合戦で武功をあげ、32歳で前田家の家督を継ぎます。 天正3年(1575)、信長の北陸支配に伴い、越前府中三人衆の一人として、府中城(現・福井県武生市)に入り、その後北陸の一向一揆や越後の上杉氏との戦いに奔走し、その功により、天正9年(1581、能登一国が与えられ、所口(七尾市)の小丸山に城を築き、初めて国持大名となります。しかし、翌年本能寺の変で信長が亡くなると、その後継をめぐって柴田勝家と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の賤ヶ岳の合戦後、勝利した秀吉に仕え、加賀国金沢城に入城します。 天正12年(1584)、信長時代の朋輩であった越中国の佐々成政と能登末森で戦い、後に秀吉の応援を得て勝利し、翌13年(1585)、能登、加賀、越中三ヶ国支配の基盤を固めます。以後、利家は、秀吉の全国制覇の重要な担い手として活躍、また、秀吉の幼子秀頼の傳役となり、徳川家康と肩を並べる豊臣政権下の実力者として五大老にも列しますが、慶長3年(1598)秀吉が没すると、翌年後を追うように63歳の波乱に富んだ人生を閉じます。 そして時代は、天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康の幕府成立へと大きく流れて行きます。 この展覧会は、平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ加賀百万石物語」と連動して、第一部では加賀百万石の基礎を築いた前田利家の人となりを、第二部では前田家によって育まれ、百万石の城下で花開いた加賀文化の精華を紹介します。 |
* 当館友の会会員は受付での会員証提示により、団体料金でご覧になれます。 * 加賀百万石博入場券持参の場合も、団体料金でご覧になれます。 ■展示構成と主な展示資料
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