今回の展示は、松尾芭蕉の所持と伝えられる頭陀袋 と、加賀の俳画を中心に展示するもので、芭蕉の来遊 を契機に発展した加賀の俳諧と俳画をながめるものです。 以下に各展示の構成をご紹介いたします。
—芭蕉奥の細道と加賀—
松尾芭蕉は、元禄2年(1689)門人曽良をともない、陸奥・出羽を経て金沢に入りました。金沢での10日間の滞在期間中は、一笑の追善句会に出席したほか、野田山や宮腰(金石)
に遊び、句を詠むとともに、門弟が集まって句会も開 かれました。
次いで小松や加賀では那谷寺や多太神社そして山中に赴き、各地の名所旧跡を訪れて句を詠ん だり句会が開かれたりしました。
20日余りであった芭蕉の加賀の滞在で、加賀には蕉風が根付き、俳諧が 町人文化の一つとして盛んとなります。
展示では芭蕉の句をはじめ、芭蕉と門弟間の書簡や芭蕉画像・木像などを展示し、加賀での芭蕉尊崇と思慕の念が篤かっ たことを偲びます。
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—芭蕉の門人達と俳画—
加賀の俳諧は、蕉風俳諧が大きく開花し多彩な展開をみせました。加賀には、一笑、小春、北枝、牧童、句空、秋の坊、万子、希因や麦水などから、千代女などに至る多彩な俳人が国内外に活躍し、多様な展開を示しました。蕉風俳諧は高い文芸性を確立しながら、町人を中心に広まりをみせることとなります。
また江戸時代の俳諧のもう一つの特徴は、美術と文芸が融合して、俳画が独立したジャンルとしても成立して大いに発展しました。蕉風俳諧の中興の祖であり、優れた文人画家でもあった蕪村などの活躍の影響が全国に広がります。
—女流俳諧の世界—
俳句の世界も和歌と同じく、女流俳人が活躍しました。加賀においても千代女を代表に女流俳人の活躍がみられます。
女性ならではの細やかな心情と眼差で、主に日常の情景描写を中心に詠んだ名句が多くみられます。
展示では千代女のほか加賀の女流俳人達の作品を交え、彩り豊かであった女流俳諧の世界をながめます。
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