前田育徳会展示室

特別陳列 歴代藩主の陣羽織
5月27日(土)〜6月18日(日)


 陣羽織とは、戦国時代以降武将が具足の上から着用した外被です。室町時代の後期には、戦闘手段および武器・武具の発達にともない、従来の鎧直垂の使用がすたれていきます。それに代わって用いられるようになったのが陣羽織です。
 陣羽織の目的は、まず戦場における武将の存在の顕示です。そのため武将の精神的背景をも具現するような、風流な意匠が追求されました。そこには当然、応戦相手に対する威嚇や、戦場において落命する可能性がある自己の最期を演出という要素も加味されますので、モティーフの選択や配色に武将は腐心したようです。
  さらに、実戦の際には機動性が求められるうえ、寒さや雨露の侵入を防ぐという実用面での課題も解決する必要があったことから、軽く丈夫で通気性のある羅紗(ウール)のような外国産の素材が多く用いられました。
 以上のような制作の前提が、時代を経ても代わらない、陣羽織の高い芸術性のゆえんと考えることができます。

 婆娑羅大名として注目された藩祖利家以来、前田家歴代藩主にとって陣羽織は重要な示威の媒体であったことは想像に難くありません。
 今回は、五代綱紀から十四代慶寧が所用した13点を展示しますが、いずれも意匠、彩色の点で「さすが」と感じさせるものがあります。
  たとえば五代綱紀の「猪目文陣羽織」に注目しますと、黒の羅紗地に赤で大きくイノシシの目をあしらっています。
  これだけで相手を威嚇する効果は十分ですが、この猪の目というモティーフの選択は、仏教の神、護国の神、そして常に日月の前にあって自在の力を顕現し、あらゆる災禍を除き兵を救済することから武人の守護神として信仰されていた摩利支天が、通常イノシシに騎乗する姿をとるという事実をふまえたものであることを考えると、文化人大名として名を馳せた綱紀の高い見識を、改めてしのぶことができます。
     
 主な展示作品
         蕨手文陣羽織 五代綱紀所用
         猪目文陣羽織 五代綱紀所用
         鳴渡月に波文陣羽織 六代吉徳所用
         牡丹獅子文陣羽織 七代宗辰所用
         市松に唐花文陣羽織 十代重教所用
         日の出に立波文陣羽織 十三代斉泰所用
         紅羅紗白梅紋下唐更紗陣羽織 十四代慶寧所用
         甲州四将図屏風
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第2展示室

特集 加賀の工芸
5月27日(土)〜6月18日(日)


 石川県は、今日でも伝統的な美術工芸の盛んな土地柄として知られています。それは藩政時代初期以来、加賀藩歴代藩主の保護のもとに培われ、その技術が継承発展したからです。
 初代藩主前田利家や二代藩主利長の頃、その芽生えはみられますが、大きく開花したのは文化大名として知られる三代利常の時世です。
  たとえば利常は、京都から蒔絵の名門として知られた五十嵐家の忠三郎道甫(初代)や喜三郎道甫(二代)を、江戸からは蒔絵の清水九兵衛を招いています。
 金工関係では、京都から後藤宗家七代目の顕乗(下後藤)、江戸から後藤覚乗(上後藤)を一年交替で来沢させ、装剣小道具などの制作にあたらせました。またそれ以外にも多くの名工が招聘されています。

  学者肌で知られる五代藩主綱紀のときには、既に利常時代に能登国中居村から金沢に移った初代宮崎寒雉が、千宗室仙叟の指導により仙叟好みの侘びた茶の湯釜を造り、また京都から仙叟に同道してきて大樋焼を始めた初代大樋長左衛門などが活躍し、加えて友禅染なども興りました。
 それらの技術は今日にも伝えられています。
 今回は、41点を公開します。

 主な展示作品
  古九谷

        色絵鶉草花図平鉢
        色絵鳳凰図平鉢
        色絵百花散双鳥図平鉢
  
  特集 加賀の工芸
        蒔絵歌書箪笥   伝五十嵐道甫
        飴釉加賀光悦写茶碗   初代大樋長左衛門
        銀象嵌水車文鐙   勝国
        福寿海尾垂釜   初代宮崎寒雉
        友禅群鶴松竹図掛幅
 
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