陣羽織とは、戦国時代以降武将が具足の上から着用した外被です。室町時代の後期には、戦闘手段および武器・武具の発達にともない、従来の鎧直垂の使用がすたれていきます。それに代わって用いられるようになったのが陣羽織です。
陣羽織の目的は、まず戦場における武将の存在の顕示です。そのため武将の精神的背景をも具現するような、風流な意匠が追求されました。そこには当然、応戦相手に対する威嚇や、戦場において落命する可能性がある自己の最期を演出という要素も加味されますので、モティーフの選択や配色に武将は腐心したようです。
さらに、実戦の際には機動性が求められるうえ、寒さや雨露の侵入を防ぐという実用面での課題も解決する必要があったことから、軽く丈夫で通気性のある羅紗(ウール)のような外国産の素材が多く用いられました。
以上のような制作の前提が、時代を経ても代わらない、陣羽織の高い芸術性のゆえんと考えることができます。
|
婆娑羅大名として注目された藩祖利家以来、前田家歴代藩主にとって陣羽織は重要な示威の媒体であったことは想像に難くありません。
今回は、五代綱紀から十四代慶寧が所用した13点を展示しますが、いずれも意匠、彩色の点で「さすが」と感じさせるものがあります。
たとえば五代綱紀の「猪目文陣羽織」に注目しますと、黒の羅紗地に赤で大きくイノシシの目をあしらっています。
これだけで相手を威嚇する効果は十分ですが、この猪の目というモティーフの選択は、仏教の神、護国の神、そして常に日月の前にあって自在の力を顕現し、あらゆる災禍を除き兵を救済することから武人の守護神として信仰されていた摩利支天が、通常イノシシに騎乗する姿をとるという事実をふまえたものであることを考えると、文化人大名として名を馳せた綱紀の高い見識を、改めてしのぶことができます。
|