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学芸員コラムColumn

2020年9月16日展覧会#66 「いしかわの工芸 歴史の厚み ~加州刀と加賀の工芸~」1

展示風景《刀 銘加州金澤住藤原清光作》

 開催中の企画展「いしかわの工芸 歴史の厚み」は、館蔵品に一部寄託品を加えた構成となっておりますが、今回は新たな試みとして、加州刀を第1章としました。前田家の統治に先立つ室町時代14世紀以降、加賀には在地武士団等のために刀を鍛える優れた刀匠がおり、刀剣に付随した金工、木工、漆芸、染織などの工人が活動していました。こうした匠の集団による諸工芸の連携が「工芸王国石川」のルーツであり、江戸幕府と緊張関係にあった加賀藩主・前田家はこの伝統を大規模に拡充して、武具の製作・補修を行う工人集団に調度の制作を命じ、文化政策の主力として工芸の振興を推進しました。
 前田家の文化政策というと、どうしても‘百万石の財力にあかせた’とのイメージが先行し、また文化に財力を投入することで、‘前田家は江戸幕府の警戒心を和らげた’との解釈も根強くあります。しかし前田家が文化に注力しても、幕府は前田家を警戒していたことは、幕末に至るまで徳川家との婚姻関係が継続していた事実が示しているとおりです。そこで本展では、前田家の文化政策は‘守り’ではなく、文武二道観に立脚した‘攻め’の姿勢であり、幕府に対する主体性の積極的表明であったことの再認識を主眼としました。
 刀剣をはじめとする優れた武器・武具を安定的に生産することは、幕府と緊張関係にあった加賀藩主・前田家による治政の重要事項でした。しかし、大規模な戦闘がない社会情勢で武器を大量に製作することは、幕府に無用な政治介入の口実を与えることになります。それゆえに前田家の工芸振興政策の根底には、有事の際にいつでも武器製作に転換できるように基本的な技術を維持・向上する目的があったと考えることができます。
 そして前田家の工芸振興政策における‘攻め’の姿勢は、京都や江戸から名工を招聘して独自の様式を確立することや、色絵磁器のような新たな領域への熱心な取り組みなどの、美への飽くことなき探究へと先鋭化しています。つまり加賀蒔絵や古九谷の独創的な美は、前田家にとっては幕府に向けられた刃でした。藩祖・利家が改めて文武二道の重要性を嫡男・利長に遺言した背景には、美に殉じた茶の湯の師、千利休の壮絶な生き様を目の当たりにしたことが挙げられます。美を、自己の全存在を懸けた、究極の主体性の表明とする考え方は、美という字が大きな犠牲を表しているとの見方に通じるものです。
 本展で加州刀を第1章としたのは、最初に生命を懸ける営為に直結した刀剣の美にふれていただくことによって、前田家が継承・発展させたのは、単に作刀を軸として諸工芸が連関する製作体制のみならず、刀鍛冶が表象する「工」の精神だったことをご理解いただけるのではないか、との思いからでした。
(担当課長 村瀬博春)

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