Loading
画面を読み込んでいます

学芸員コラムColumn

2019年12月17日展覧会#53 特別陳列「加賀蒔絵と古九谷の至宝」に寄せて 2

五十嵐道甫作《蓮唐草鳳凰蒔絵聖教箱》・《蓮池蒔絵聖教箱》いずれも法華経寺蔵

 今回は、「前田綱紀展」以来31年ぶりの公開となった五十嵐道甫作《蓮唐草鳳凰蒔絵聖教箱》と《蓮池蒔絵聖教箱》(法華経寺蔵)の文化的背景を、法華経信仰の観点から考察します。日本人と漆の関わりは、12000年以上に及ぶと考えられています。人間は自然環境に適応し、生活の質的向上を図るために様々な道具を作ってきました。なかでも漆には、樹液を採取された際の傷を自ら修復し、その樹液は木を腐食から守り、もろい土器を堅固にする特別な作用があります。そして、青森県で出土した世界最古とされる螺鈿漆器を見ると、5500年前の日本人は、漆を通して超越的なるものへの視点の中に、確固たる「美」の観念を持っていたことがわかります。
 このように日本の漆器には、単なる塗料・接着剤として生活の充足を目指す以上の、高度に精神的な存在意義が数千年にわたって追求されてきた歴史があります。それゆえに、『法華経』「方便品」の逆説的解釈に基づく、善美を尽くした造形は功徳となり、多くの人々を救済するとの教えが円滑に受容され、奈良時代7世紀以降に蒔絵の技法の発展をもたらしました。室町幕府八代将軍・足利義政に仕えた信斎に始まる蒔絵師の五十嵐家は、法華宗の熱心な信徒であり、刀剣鑑定の本阿弥家とも姻戚関係があります。今回の展示では、道甫作の重要文化財《秋野蒔絵硯箱》をはじめ、五十嵐派による蒔絵硯箱の優品を多数紹介していますが、硯箱と密接に関わる文学も、法華経信仰では極めて重要な意義を持っています。
 ここで「狂言綺語観」を再認識したいと思います。〈綺語〉とは、道理に背き、飾り立てた言葉との意味で、詩歌、物語、管弦、音曲などを指します。『法華経』「安楽行品」には、世俗の文筆、讃詠(うた)の外書をつくる者との交際が禁じられており、狂言綺語をもてあそぶことは、仏の教えに背く行為と考えられました。しかし、『和漢朗詠集』仏事588に“願わくは今生世俗の文字の業 狂言綺語の誤りをもつて かえして当来世々讃仏乗の因 転法輪の縁とせむ。”(白居易)とあるように、文学に耽った罪を自覚し、敢えてそれを翻し、文学を正しく仏道に導く機縁と位置付ける思想が展開しました。
 したがって、五十嵐派の硯箱は二重の意味で『法華経』信仰の具現化であり、加賀藩三代藩主・前田利常や五代藩主・前田綱紀が、文学の貴重な写本を入手した際に、五十嵐派や清水派の名工に、収納する蒔絵箱を作らせたのも同じ思想に立脚したものです。それゆえに、収納する対象が文学ではなく、「聖教」と呼ばれている日蓮聖人自筆遺文となれば、最上の願いと技量の発揮が要請されることは言うまでもありません。
 今回展示されている二つの聖教箱は、正保3年(1646)年に加賀藩三代藩主・前田利常が願主に、本阿弥光甫(光悦の養子光瑳の子)が施主となって実施された聖教の大修理が行われた際に、修復が完了した聖教を収納するために誂えられました。利常は前年に嫡子・光高の夭折に直面し、また、寺伝によれば襲封した五代藩主・綱紀が病弱なため、その無事を鬼子母神に祈願したところ祈願が成就したことによって、綱紀(犬千代)と弟の萬菊丸の安穏無事、無病息災を願って聖教の大修理が行われ、蒔絵箱とともに法華経寺に奉納されました。
 方形、三段重で幕板形の脚を持つこれら蒔絵箱は、金銀の高蒔絵を基調とした蒔絵技法を駆使し、中心となる「正しい教えの白蓮」としての『法華経』を昭示する蓮の意匠が、制作背景を雄弁に物語っています。本作は、共に篤く法華宗を信仰した本阿弥光甫と蒔絵師・五十嵐道甫が、願主・利常の祈願に心底から共感した、記念碑的労作ということができます。
 以上、2回にわたり特別陳列「古九谷と加賀蒔絵の至宝」(1222日まで)に関連して寄稿しました。表面的な美しさやデザインの妙の根底にある、キリスト教や法華経信仰への鋭い洞察こそが、本展の副題である「百万石大名の自負」だったのではないかと、改めて考える次第です。(担当課長 村瀬博春)

ページの最上部へ