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学芸員コラムColumn

2019年6月28日その他#50 特集「名刀と刀絵図」に寄せて

特集「名刀と刀絵図展示風景」

 石川県立美術館は、昨年「美の力」と題した企画展を開催しました。その際のキャッチコピーは‘千利休の生き様が加賀百万石を動かした’としました。これは、美の哲学の対立により豊臣秀吉から切腹を命じられた、茶の湯の師・千利休の生き様を目の当たりにした加賀藩祖・前田利家が、自身の「遺言」で文武二道観を先鋭化させ、利家の四男である三代藩主・利常によって、‘文による武’としての戦略的な文化政策が確立され、それが今日の‘百万石ブランド’を形成していったとする歴史観に基づくものです。
 したがって、加賀藩主・前田家にとって文化は江戸幕府の警戒を和らげるものではなく、むしろ挑戦的に自己の主体性を表明する武器でした。前田利家と徳川家康の確執は、幕藩体制が確立された後も、前田家と徳川家との緊張関係という形で継続されました。それゆえに両家の婚姻関係が幕末まで続いたのであり、名刀の贈答も同様の意義を持つものでした。
 今回の特集では、国宝《剣 銘吉光》が白山比咩神社のご高配により特別に展示されましたが、この名剣が加賀の地に伝えられた背景にも、この緊張関係があったということができるとともに、逆に、この名剣によって平和が保たれたということもできます。それほどに《剣 銘吉光》の存在は大きなものでした。
 そして今回初めて全巻が一度に公開された《刀絵図》(本阿弥光徳作)は、豊臣秀吉の蔵刀を主体としたものですが、収録された40点のうち12点が吉光作である事実も特筆されます。「大友本」と通称された本作が金沢に伝えられた経緯は不明ですが、百万石の文化的求心力の所産であることは間違いありません。その中の「あらみ」(短刀 銘吉光、通称江戸新身)は、秀吉から秀頼に伝えられ、秀頼が将軍・徳川秀忠へ進上し、秀忠が加賀藩二代藩主・前田利長に下賜し、元和3年(1617)年513日の、将軍秀忠による前田辰口邸への御成の際に、前田利常から秀忠に献上されています。このような「あらみ」の来歴も、秀吉のみならず将軍家や大名家において、吉光がいかに重要視されていたかを端的に物語っています。
 吉光をめぐる人物として、利休にも注目したいと思います。1991年に利休400年忌を記念して京都国立博物館で開催された「千利休展」には、吉光の銘がある短刀が、利休拵と通称される黒塗の拵とともに展示されました。利休切腹時に用いられたと伝えられるこの短刀は、もと金沢の商人の所持だったと言われていることに論者は特別の関心を持ちました。この記憶は、2016年に「前田藤四郎」と《黒楽茶碗 銘北野》(長次郎作)を相前後して展示した際に、鮮やかに蘇りました。
 「北野黒」は、数ある長次郎作と伝わる黒楽茶碗の中でも、最も端正な姿で威風凜然たる佇まいの名碗です。論者は本碗に接する度に、これは“吉光の短刀のように”と利休が長次郎に指示して焼かせたものではないか、との思いが強まりました。なお、今回展示している《刀絵図》には吉光の「北野」も収録されています。‘北野’という響きには、どうしても菅原道真に自身の境遇を重ねた利休の無念さを投影してしまいますが、「北野黒」の展示に続いて今回同じ展示室に《剣 銘吉光》と《刀絵図》を展示してみますと、吉光の「北野」も「北野黒」の銘に関わりがあるのではないかとも考えたくなります。
 吉光と利休、そして黒楽茶碗との関わりを受けて、今回の展示が行われているコレクション部門・第2展示室に常設展示されている古九谷にもふれておきたいと思います。詳細は別の機会に譲りますが、加賀藩三代藩主・前田利常が推進した戦略的な文化政策の掉尾というべき古九谷は、江戸幕府に向けられた鋭利な‘刃’でした。したがって、刀剣を同時に展示しますと、古九谷に秘められた深い気迫が感応するように思います。
 このように、刀剣は神聖な存在であると同時に、時に様々な人々の情念を深く宿してもいる霊的な存在です。それゆえに、日頃の手入れから展示に至るいかなる時においても、常に尊崇・畏敬の念をもって接しています。そのため、様々なご要望に十分お応えできない点もありますが、どうかご理解いただきたいと思います。
 最後に、加賀藩主・前田家ゆかりの名物刀剣の、今後の展示予定をお知らせします。展示のご要望が最も強い「大典太」につきましては、最も早くて2027年以降の予定です。前田家における「大典太」の意義を考えますと、数年おきの展示はできないことをご了承ください。しかし、「前田藤四郎」につきましては、数年以内に展示できる見通しです。その時は「太郎作正宗」もあわせて展示される予定です。遅くとも来年の3月には、具体的な展示日程をお知らせできると思います。どうぞご期待ください。(担当課長 村瀬博春)

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