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学芸員コラムColumn

2019年2月1日展覧会#44 宮本三郎のヨーロッパ留学

企画展「石川近代美術の100年」関連連載その5

宮本三郎《裸婦像》

 宮本は昭和13年にひきも切らぬ新聞挿絵などの制作に追われ、過労のため体をこわし、その状態から脱出することもあり、10月に渡欧します。パリではアカデミー・ランソンに籍を置き、ヨーロッパ各地をまわって美術の研究を続けましたが、1939年9月、第ニ次世界大戦が勃発したため、やむを得ず、イギリス、アメリカを経由し、12月に帰国しました。
 滞欧中カンバスに描いた作品は木枠からはずして持ち帰ることができたのですが、ボードに描いたものはかさばるために残さざるをえませんでした。パリに残した作品で知られているもの2点あり、和と洋、一対として描きました。1枚は福富太郎コレクション中の「大和撫子」、もう1枚は、宮本にはまれな西洋の女性を描いた本作「裸婦像」で、ヨーロッパで本格的に油彩技法を学び、画材の特性を生かして絵具層の厚みを明部と暗部によって使い分けて描く手法がうかがえます。
 帰国後、宮本は戦争記録画の制作に専念することになります。ヨーロッパ古典絵画の群像表現がどの記録画にもうかがえ、宮本のピークの一つといえますが、「裸婦像」には晩年の聖書やギリシャ神話に想をとった裸婦表現に直結するものを感じます。もしも、戦争記録画に従事することがなければ、晩年のスタイルが早くに実現し、さらに豊穣な世界を描き得たのではと思ったりもするのです。(普及課長 二木伸一郎)

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