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学芸員コラムColumn

2017年6月9日展覧会#28 俵屋宗達《槇檜図》と《平家納経》、そして《刀絵図》

 琳派は、17世紀初頭に刀剣の鑑定などを家業とする本阿弥光悦が中心となって京都で推進した造形運動を端緒として、俵屋宗達や尾形光琳によって日本美術の代表的な様式に高められました。一般的な琳派観は、宗達と光琳など世代が離れた芸術家を私淑の関係で捉えますが、光悦から宗達、そして俵屋の後継者・宗雪や喜多川相説と光琳は法華経信仰で強く結びついている事実を忘れてはなりません。
 『法華経』「方便品第二」では、子供が戯れに木片や指で像を描いたとしても、これらの像を描く者はすべて慈悲ある人となり、彼らは皆幾千万の人々を救済し、また多くの求法者を鼓舞すると説かれています。それゆえにこの教えは、大人が一心に善美を尽くして造形にあたれば、それは計り知れない功徳となる(作善)と逆説的に解釈され、日本では特に、末法思想の影響が強まる平安時代後期以降、《平家納経》をはじめ、様々な造形を生み出す原動力となりました。
 そこで今回は、王朝文化への志向を如実に示す《槇檜図》に、参考出品として田中親美による《平家納経安楽行品第十四》模本(前田育徳会蔵)を合わせて展示しました。さらに本阿弥光徳の《刀絵図》も合わせました。《刀絵図》の怜悧な計測・計算の姿勢は、《槇檜図》制作における切箔と描片の、計算を極めた構成的手法に通じるものがあります。この3点から、琳派の神髄を改めて感得する思いです。(学芸第一課担当課長 村瀬博春)

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