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学芸員コラムColumn

2016年9月8日展覧会#9 特別陳列「高山右近」に寄せて 2

高山右近の書状と炭点前道具

展示風景 高山右近《高山右近書状》、《炭点前道具》

 石川県立美術館には、高山右近の自筆書状が寄贈されている。内容は、先日より懸案の鶴の羽箒が出来上がったので是非見せたいというもの。宛先は家柄町人で、右近の姪が嫁いでいる片岡休庵。羽箒は「清めの道具」であり、鶴は特に洋の東西を問わず長寿を含意することから、鶴の羽箒はキリスト教義の根幹である、罪の清めと許しによる永遠の生命の獲得を端的に表象するものともなり得る。また高山右近は終生、千利休が結った鶴の羽箒を所持していたとも伝えられている。
 今回の特別陳列には、右近の書状とともに鶴の羽箒をはじめとする炭点前道具があわせて展示されている。聖書において灰や炭は人間の謙遜・罪からの回心を象徴することを想起すれば、金沢の地にこの書状が伝存する意義は深遠である。茶の湯とキリスト教のミサとの接点は様々に言われているが、私見では、仏教の根本義である精神の覚醒と、聖書にある罪からの解放・救済を表象する「目覚め」を、共に志向する儀式であるという本質的共通点に留意したい。
 ここに“信仰を捨てるよりは死をという覚悟を決めていた。”とイエズス会1612年度年報に報じられた2000人程度と推定される加賀・能登のキリシタンが、1614年の高山右近追放時に殉教の道を選ばなかった真意を解く鍵がある。つまり、現地の習俗・諸習慣に一致・調和する理性的な「適応主義」が日本布教の根本方針であったことを考えれば、殉教、棄教、転宗、潜伏ではなく、キリスト教信仰の、茶の湯への思想的転換の道が右近によって信徒に諭されたとの状況が見えてくる。 (学芸第一課担当課長 村瀬博春)

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