今月の美術館だより
 第242号 平成15年12月1日発行


●美術館小史・余話 39 
嶋崎 丞(すすむ) 当館館長

まぼろしの分館構想

  先号で述べたように、新美術館設立構想段階の昭和55年(1980)の時点では、従来からの石川県美術館は、新設される石川県立美術館の分館にして、石川県の工芸の歴史的な流れを俯瞰することのできる工芸館として位置づけるという考え方であった。建物自体も、石川県出身の著名な建築家谷口吉郎氏の代表作でもあり、工芸王国を自負する石川県にとっても、そうした方が良いのではないかと私自身も考えていた。

 新しく建設する美術館は、いわゆる公立美術館建設ブームの最後の時期に当たるところから、どうせ建設するならすでに各地に建設されている美術館の規模をしのぐものを作るべきだとの意見が出され、結果的に延床面積11,427平方メートルという当時としては随分と大型の美術館を建設することになった。しかし問題はそうした大型美術館の展示室を、どのような収蔵品をもって埋めるかということであった。石川県美術館時代の約7 倍の規模にふくれあがることであり、それまでに収蔵していなかった近現代の絵画や彫刻作品の準備は多少考えてはいたものの、それまでに収集してきた当館のある意味では個性である工芸分野の全作品を別館で展示することになると、新設される石川県立美術館の個性がぼやけて見えにくくなるのではという意見も出されるようになってきた。

 種々議論の末、石川県美術館は組織から切り離すことになり、今日ではご周知の通り、石川県立伝統産業工芸館として再活用することになった。従って新館の美術館に工芸を取り込むことになったが、結果として第2展示室は古九谷の常設展示と古美術の特集展示とが併用する形となり、中途半端な状態が今でも続いている。

 

 







第2展示室

古九谷を展示する第2展示室