今月の美術館だより
 第239号 平成15年8月21日発行


●美術館小史・余話 37 
嶋崎 丞(すすむ) 当館館長

新美術館開設に向けて(2)

  近代美術館(仮称)の設置懇話会が提言した美術館の建設場所を、「金沢市郊外の西部緑地が適当とする」案に対して、県議会の委員会での議論はもとより、学識者や作家、多くのマスコミから反対の意見が続出し、設置場所を金沢の中心部におくよう県当局に対し訴えが始まった。昭和53年の暮れから54年の1月にかけてのことであった。私は内心自分の考えていた方向に県民の世論が向かってきたので大変うれしかったが、いざ都心部に広大な土地を求めるとなると候補地がなかなか見あたらなかった。

 ところが10月に入って金沢女子短期大学が、学生数の増加にともなって末地区に移転したため、その跡地を新美術館の建設用地の候補とする案が浮上した。近代美術館設置懇話会に変わって設置された「新美術館設置懇話会」が、新美術館の設置場所は「金沢女子短期大学跡地を中心とする本多の森(現在地)とされたい」とする提言を県に対して行った。12月のことであった。1年ほどの間によくぞこのようにうまく事が運ぶものかとつくづく思い、まさに神のお助けがあったのではないかと深く感じた。

 年が明けて、昭和55年2月。いよいよ新美術館開設に向けて「新美術館開設準備委員会」が設置され、4月1日には、開設事務を担当する準備事務室が教育委員会内に設置され、室長に私が任命された。辞令が交付され故中西前知事に挨拶にお伺いすると、「君の考えていた通りの場所に建設することにしたから、重大な責務を感じて一所懸命仕事をするように」との訓辞を賜った。私のそれまでにしてきた行動には一言も小言を言われなかったが、ぴしゃりと締められた感じであった。今でもあの声は耳元に深く残っている。

 

 




石川県立美術館の作庭風景

石川県立美術館の作庭風景