今月の美術館だより
 第234号 平成15年4月1日発行


●美術館小史・余話 32 
嶋崎 丞(すすむ) 当館館長

「新美術館建設について」の陳情

 日本の今日の経済は不況に苦しんでいるが、昭和40、50年代は、世界がうらやむほどの見事な成長発展を遂げた時期であった。国民生活が豊かになり、生活様式が急激に変化し、各地の開発に伴って文化財の破壊行為が進んできた。そしてこうした状況から文化財を守り保存するために、博物館を建設しようという気運が高まってきた。

 このことに加え、昭和43年が明治百年に当たっており、地方公共団体は豊かな財源を背景に、記念事業として博物館や美術館の建設を行ったことから、この頃は「博物館ブームの到来」といわれたものである。北陸でも福井県立美術館が昭和52年11月に、富山県立近代美術館が昭和56年7月にそれぞれ新設開館した。こういった諸設備が完備した大型美術館が姿を現すと、昭和34年に開館した小型の石川県美術館は、実に見劣りがするようになってきた。

 この連載の2回目(『石川県立美術館だより』第203号)で述べたように、旧石川県美術館は収蔵品を常設展示し、企画展を開催することを目的とした、博物館機能を優先する美術館である。従って作家活動が盛んな石川県という土地柄にあっては、多くの作家たちにとって、自分たちの作品の発表の場として美術館が使えないということに、大きい不満が残った。そうした作家たちのくすぶった心は、いつしか「もう一つの美術館—近代美術館建設の要望」という形となり、各県で始まった大型美術館建設ブームが追い風となり、昭和48年2月に、県に対して「新美術館建設について」の陳情という形になって表れてきた。

 美術館側にとっても、この頃から企画展の規模が次第に大型化し、小型の旧石川県美術館の施設でも、その対応が困難となってきていた。こうした事情が合致して、新美術館を建設しようという動きが漸く始まったのである。

 

 






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