第6展示室では明治以降の洋画、日本画を系譜、系統という観点から紹介します。
洋画では東京美術学校で洋画を学び、大正期に文展・帝展で活躍した遠田運雄、伊東哲らをまず1つの系統とし、次いでその下の世代になる高光一也と光風会系、そして宮本三郎と二紀会系の作家をご覧いただきます。
ここでは最初の系統から伊東哲を紹介しましょう。
明治30年に金沢第一中学(現泉丘高校)に美術教師として赴任した佐々木三六が洋画を普及し、彼の赴任期に遠田、伊東らは同中学から東京美術学校の西洋画科に進みます。今、NHKの朝ドラで九州の鉱山王に嫁いだ女性が出ています。後の歌人柳原白蓮ですが、伊東は彼女をモデルに「沈思の歌星」を描き帝展に入選しました。しかしそのことが売名行為と騒がれ画壇を去ることとなります。そして、従兄で台湾に東洋一のダムを築く八田与一に誘われて台湾に渡りダム記録画を描くのでした。石川洋画といえば、高光・宮本が著名ですがその先達にもユニークな画家は多くいるのです。
日本画では日本画家が生き生きと活躍していた明治期から、主に金沢美大を卒業し画壇で活躍する現代作家までを、師系の観点からご覧いただきます。日本画が誕生した明治初期、依然として各流派が存在し、その筆法や画風にも確かな違いが認められるものでした。公立の美術学校の設立により、各流派の垣根が低くなった時代を通り抜け、現代に至る石川日本画の姿をご覧下さい。