北陸地方は、古代から九州とともに大陸との交流拠点として独自の文化が発達しました。そして京都や江戸との微妙な距離感は、室町時代には戦乱や政争からの避難所として洗練された文化を生み、江戸時代には特に外様大名の筆頭であった加賀藩に、朝廷と幕府との権力構造のなかで文化によって主体性を保持する政策を促しました。
今回の特別陳列では、長谷川等伯と久蔵、左近の等伯父子の作品と、狩野探幽門下の逸材として技量を高く評価されながら後年探幽の門を離れた久隅守景の作品を展示します。展示される作品が描かれた背景を考えますと、先述した北陸地方の特質が深く影響を与えていることが確認されます。
今回、高岡大法寺と高岡市美術館のご高配により公開が実現した長谷川等伯(信春)筆の重要文化財「釈迦多宝如来像」と同「鬼子母神十羅刹女像」は、いずれも等伯が七尾を拠点に信春と号していた永禄7年(1564)、26歳の作です。子細に画面を観察すると、この年既に等伯は絵仏師として熟達しており、若年時から様々な仏画の学習と制作にあたる環境にあったことがわかります。そして、伝長谷川久蔵筆とされている「祇園会図」(石川県指定文化財)の人物描写には同じような血脈が感じられるのも興味深いところです。また大乗寺に伝来した長谷川左近筆「十六羅漢図」(県文)も、等伯一門の活動状況を知る貴重な作例といえます。
そして今回は久隅守景の「四季耕作図」を、日本風俗(重文)と中国風俗(県文)の2点同時に展示します。守景が加賀の地で四季耕作図を意欲的に描いた背景には、加賀藩が推進した農政改革を称揚する目的があったと考えられます。