村 田 省 蔵 年 譜
和暦
西暦
年齢
略歴
昭和4 1929
6月15日、父村田正美、母文子の五男として金沢市上堤町38番地に生まれる。生家は生糸問屋を経営。
昭和17 1942
13
父死去。
石川県立金沢第二中学校へ入学。
昭和19 1944
15
海軍飛行予科練習生として滋賀航空隊に入隊。
昭和20 1945
16
終戦により改めて金沢第二中学校に復学。
第1回現代美術展(10/12-30)において宮本三郎の少女像を見て感動し、画家を志す。
昭和21 1946
17
10月、金沢美術工芸専門学校(現、金沢美術工芸大学)予科に入学。洋画を専攻する。宮本三郎、高光一也に学ぶ
昭和24 1949
20
3月、第35回光風会に「昼近き中庭」初入選。
10月、第5回日展に「診療室の女医さん」初入選。
昭和25 1950
21
3月、金沢美術工芸専門学校洋画科卒業。引き続き研究科に席を置く。
3月、第36回光風会展で「窓辺の女」がムーン賞受賞。
4月、小絲源太郎が洋画主任教授となり、年に3,4回実技の集中指導にあたる。
昭和26 1951
22
上京し、文京区駒込神明町に住む。
小絲源太郎に師事する。
昭和29 1954
25
この頃から東京の荒川放水路周辺の水門を描き歩く。
昭和30 1955
26
不勉強のため、小絲源太郎より展覧会への出品を止められる。
昭和34 1959
30
東京都保谷市にアトリエ完成。
佃の渡しのスケッチに通う。4月、第45回光風会展で「渡船場」会友賞受賞。
昭和36 1961
32
11月、第4回日展で「河」が特選受賞。
昭和40 1965
36
日本橋三越本店で、はじめての個展を開く。
昭和41 1966
37
光風会を退会する。
昭和42 1967
38
日展委嘱出品となる。
9月横浜を出港、iヨーロッパの旅に出る。フランス、スイス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカの美術館を巡り、翌年帰国。
昭和43 1968
39
11月、第11回日展で「箱根新涼」が菊華賞受賞。
昭和47 1972
43
メキシコを旅する。
昭和49 1974
45
再度メキシコを旅する。日展審査員を務める。
昭和50 1975
46
日展会員就任。鎌倉市七里ヶ浜にアトリエを築き、東京から移る。
昭和52 1977
48
第33回現代美術展「陽炎」を出品し、以後毎年鎌倉から出品を続ける。
昭和53 1978
49
2月、師・小絲源太郎 死去。
昭和54 1979
50
フランス、スペインを旅する。
昭和56 1981
52
人民日報招待で中国・北京を取材旅行をする。
小絲源太郎門下による「絲門会」を結成、第1回展を銀座資生堂で開催。
昭和57 1982
53
イタリアを旅する。胆のうの手術をする。
昭和59 1984
55
アメリカ、ヒューストン、ニューオリンズを旅する。
昭和61 1986
57
北海道、富良野を旅し、この年から北海道シリーズを描く。
鎌倉市浄明寺にアトリエ完成する。
平成2 1990
61
日展評議員に就任する。
平成3 1991
62
金沢・アートシアターいしかわで「村田省蔵展」を開催。
一枚の繪より「村田省蔵画集」刊行。
平成5 1993
64
新潟県長岡、岩室へ稲架木の取材に行く。11月、第25回日展「稲架木」出品。
平成7 1995
66
石川県美術文化協会参与に就任。11月3日、北國文化賞受賞。
平成8 1996
67
鎌倉美術家協会理事長に就任。衆議院議長公邸に「燦」を陳列。
平成10 1998
69
文藝春秋画廊で「村田省蔵展」を開催する。
第30回日展で「春めく」内閣総理大臣賞。
平成12 2000
71
金沢学院大学美術文化学部教授に任命される。
平成14 2002
73
北國新聞会館別館ギャラリー香林坊21で「村田省蔵絵画展」を開催。
平成18 2006
77
6月26日 第37回日展出品作品「春耕」に対し、恩賜賞・日本藝術院賞を受ける。
日展理事に就任。
12月15日 日本藝術院会員に就任する。
平成19 2007
78
石川県美術文化協会名誉顧問に就任。
日展常務理事に就任。
北國新聞社より「村田省蔵画集」刊行。
平成21 2009
80
9月 日本橋三越本店画廊にて「村田省蔵 画業60年 傘寿記念展」開催。
平成22 2010
81
鎌倉市制文化功労者となる。
日展顧問就任。
平成23 2011
82
5月、北國新聞社主催「画業60年の軌跡」展を北國文化交流センターで開催。
6月27日、旭日中綬章を受章する。
日展審査員(審査主任を務める)。
平成24 2012
83
4月金沢学院大学名誉教授となる。
4月〜5月イタリア「ボローニア」を中心に取材する。
「公募団体ベストセレクション美術2012」展に「五月の稲架木」出品。