今回展示する一連の襖絵は、明治43年(1910)に東京本郷の前田侯爵邸へ明治天皇が行幸されるに際して新築された和邸のために橋本雅邦が描いたものです。襖絵は障子の腰、戸袋を含めて30面伝えられており、四季の景を水墨で描き、一部に薄く金泥を引いています。
筆者の橋本雅邦は1835年江戸木挽町の狩野邸に生まれ、やがて狩野勝川院雅信に入門しました。しかし当時の狩野派の粉本主義に飽きたらず、独自に日本の先人や西洋画の技法を積極的に学びました。その後フェノロサに認められ、東京美術学校教授に就任しました。しかし1898年のいわゆる「東京美術学校事件」により依願免官の形で教授職を辞し、以後日本美術院主幹として、横山大観、下村観山、菱田春草ら多くの逸材を育て明治41年(1908)に没しました。
したがって今回展示の襖絵は、雅邦最晩年の作品であることがわかります。狩野探幽以来の減筆体の手法を念頭に置いて、全体を描きすぎることなく、柔和な筆致で鑑賞者に安らぎを与えようとの画家の意図が伝わってきます。
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