前田家三代利常は傑出した文化大名で、外様大名ゆえの幕府への政治的屈従を強いられた利常が、天下一大名を誇示する唯一の方法は、自己の文化政策による反体制的姿勢の表明でした。
利常は、後水尾天皇や小堀遠州などとの交際も深く、またその影響を受け、単なる武家文化ではなく、それをはるかに昇華した平安王朝文化の世界ともいうべき内容の名品や茶道具の収集、また長崎を窓口として舶載される名物裂や陶磁器、漆芸品などを購入、またオランダのデルフト陶の注文、さらには豪放華麗な色絵を特徴とする古九谷の操業など、その美意識には他のいかなる大名の追随をも許さないスケールの大きさがありました。
当初、武器武具の制作修理を行っていた御細工所を、利常から綱紀の時代には美術工芸品の制作の場へと整備拡充し、漆芸では五十嵐道甫や清水九兵衛を、金工では後藤顕乗を招き、名品の制作とともに後継者の育成にも力を注ぎ、加賀藩の美術工芸は、江戸や京都をもしのぐ勢いでした。
四代光高が早世したため、五代綱紀は幼少の頃より祖父利常の強い影響を受けて養育され、利常同様優れた文物や美術工芸品を収集すると同時に、入手困難なものは写本や模造品を作成し、それらを整理分類するという、今日的な意味での図書館、博物館的な事業を行い、その精華が「尊經閣蔵書」であり「百工比照」(諸種の工芸、工匠を比較・対照するという意味で、その製品や技法を収集・分類・整理した標本に綱紀が付けた呼称で、江戸時代前期の工芸技術を知る極めて貴重な資料)です。
こうして収集育成された美術工芸品を中心に重要文化財5件を含む43件で紹介します。
(会期中、前半、後半で一部展示替があります。) |