「天神さま」と呼ばれ、親しまれる天満宮(天神社)の祭神・菅原道真。怨霊として恐れられることもありましたが、平安時代中頃以降、道真を祭神とする天神信仰の発生と広まりにともなって、多くの画像が作られ、江戸時代には学問の神としてさらに知られるようになりました。
前田家では藩祖利家の頃より、天神への信仰を行っていたと思われます。三代藩主利常は、菅原道真を祖と主張し、京都・北野天満宮を模した小松天満宮を建立するなど「天神さま」に深い崇敬を寄せました。つづく歴代の藩主も積極的に天神関係資料の収集を行い、領内においてもその振興が図られることになりました。
「天神画像」にはいくつかの種類がありますが、いずれも道真に関する説話に基づいたものです。大宰府へ送られる船中で、敷物がなく丸めた縄の上に座ったところ、あまりの惨めさに怒りが込み上げ、その表情を露にしたという「縄敷天神画像」。道真が中国へ渡り法衣を受けたという説話に基づき、中国風の装束を身に付け、梅の枝を持つようになった「渡唐天神像」などです。これらの姿は、「天神さま」が多様な神として親しまれた証であり、前田家が先祖として「天神さま」を崇めた理由も、こうした変化自在な姿に対する憧れだったのかもしれません。今回は6点の天神画像のほか、文人志向の高まりの中で尊重され、前田家の雅な趣味がうかがえる文房具を展示します。 |