日本の絵画は、中世末期から近世初期の時代に、新たな建築様式である書院造の出現によって大きな展開を見せます。書院は応接、居住という表向き、内向きの機能を持った座敷空間を構成した建築であり、それぞれの空間には位置による序列と意義付けがなされました。空間を仕切る襖や屏風に描かれる絵としての障屏画には、そうした目に見えない秩序を可視化する媒体としての役割があり、能楽や茶の湯など特に室町時代における諸芸道の発達や座敷飾りの盛行によって、その機能はますます強化され、桃山時代から江戸時代初期にかけて量的、質的に目を見張る進化を遂げます。
今回の展示は、そうした展開の一端をご紹介するものです。まず、王若水の《花鳥図》は、中国の伝統的な吉祥図としての花鳥画が中世期にどのように描かれ、日本にどのような形でもたらされたのかを知る貴重な手掛かりといえます。同時に展示される雪舟の《四季花鳥図》(重文)と比較すると、雪舟が中国的な画題をどのように消化していったのかを知ることができます。さらに雪舟の師とされる周文の筆と狩野探幽が記している《四季山水図》(重文)も、中国画題が和様化されてゆく初期の過程を知る上で興味深い作品です。今回はこれらの作品をとおして、久隅守景の画業に見られる漢画系画題の和様化が、室町時代からの大きな流れの最終局面に位置付けられることを再認識していただければ幸いです。また、六代梅田九栄の《鷹狩図》もあわせて展示します。「久隅守景展」に展示される《鷹狩図》(日東紡績株式会社蔵)との比較も楽しみな見所です。
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