豪放雄大な古九谷から絢爛華麗な九谷庄三までを公開している本展は、九谷焼の流れの学習と、九谷焼の美が鑑賞でき、大変好評を博しています。
前回の内、およそ三分の一ほどを展示替えします。出展点数57点の内、古九谷が13点で最も多くあり、次に吉田屋窯が12点、若杉窯が9点で、ほか各窯から1ないし4点ずつの展示です。
今回は、吉田屋窯について記してみましょう
吉田屋窯は、大聖寺の豪商4代豊田伝右衛門が、古九谷再興を意図し、当初、江沼郡九谷村の地で興したやきものです。文政6年(1823)9月頃から準備を始め、翌7年(1824)には開窯しましたが、地理的にも不便なため、同8年に窯を閉鎖し、同9年に山代村の越中谷に移っています。そして相当盛大に操業しましたが、同10年2月に5代、6月に4代が没し、その後を継いだ6代のとき借銀が重なり、天保2年(1831)に焼止めとなりました。
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作風は、古九谷青手を狙い、赤の絵の具を用いない三彩や四彩による塗埋手で、速度感のある軽快な筆致を特色としています。素地は、九谷村でのものはやや分厚く鼠色を呈しています。山代村移築後のものもやはり鼠色、あるいは黄白色で半磁胎です。また器種も食器から台所用品・酒器・文房具・茶道具・調度品など、あらゆるものを生産しています。
吉田屋窯の在銘品のうち、文政11年(1828)銘「色絵麒麟図輪花鉢」が今回登場します。また展示品の中で「色絵松竹梅文輪花鉢」は、「天保二卯年/九谷焼丼鉢(以下略)」の箱書銘があります。天保2年(1831)といえば、吉田屋窯が焼止めとなった年です。作品は、箱書の年より年代的に少し遡るものと思われますが、いずれにしても吉田屋窯の終盤を飾る時期のものとして注目されるものです。
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