今回の鴨居展では、鴨居の創作活動を
Ⅰ初期〜安井賞受賞まで
Ⅱスペイン・パリ時代
Ⅲ神戸時代−一期の夢の終焉
の3期に区分し、また、鴨居の画業に大きな位置を占めるデッサンを、これまでの回顧展より多く出品して、
Ⅳ デッサン
として、全4章で構成しました。以下各時代を述べていくことにします。
まず、[Ⅰ初期〜安井賞受賞まで]は、次の2期に分けることができます。
1.習作時代〜アンフォルメルへの対応期
これは金沢美術工芸専門学校時代(以下美専)から、卒業後昭和30年代の抽象絵画(アンフォルメル)の流行期に鴨居が制作に悩み、油絵をやめ、パステルやガッシュで描いた時期です。自画像や後に教会シリーズへと繋がっていくシュール系の作品が描かれます。
《観音像》は美専本科2年時に描き、第4回現代美術展(金沢)で石川県知事賞を得た作品です。長兄・明(あきら)がレイテ戦で生死不明の状態が戦後も続き、兄の無事を祈って描いたものと思われます。情念が渦巻くダイナミックな表現は後年の鴨居のスタイルにつながるものです。
《時計》は描いた時期がはっきりしないのですが、前後の作風からみて昭和37年(1962)頃と思われます。抽象の全盛期、鴨居は模索を続けるのですが、毒々しい赤が印象的です。卵が割れて時計が生まれ落ちるのですが、地に落ちた時計はぐにゃりと溶け始めています。生まれた瞬間から失せていくもの、無常観を表現したのでしょうか。
2.ブラジル・南米〜パリ・ローマそして安井賞
鴨居は安易な抽象画を描くことに虚しさを感じ、昭和40年(1965)に友人を頼ってブラジルに鴨居は行くのですが、どうもブラジルの気候風土は鴨居には合わなかったようで、「深刻な絵を描いているのがばかばかしくなってくると」日本の友人に書き送っています。
《静物 ブラジルにて》は、洋梨がブラックホールに吸い込まれるかのような、いくぶんシュールな静物ですが、色彩は回復しています。この後、鴨居は油彩制作の復活を見るのです。
そして油絵の制作に自信を持ち、帰国後の44年に画壇の芥川賞ともいわれた安井賞、そして昭和会展で優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びるのです。鴨居の画壇への本格デビューです。
中央画壇デビューへの悦びも束の間、メキシコの画家ラファエル・コルネルとの類似性をささやかれたり、師宮本の辣腕による安井賞受賞を影でいわれるなど、ねたみとそねみに嫌気がさしたのか、昭和46年(1971)にスペインに鴨居は旅立ちます。
3.安井賞受賞作「静止した刻」
鴨居はこの時期「静止した刻」と題する作品を続けざまに描きましたが、何作かは廃棄したようです。東京国立近代美術館と石川県立美術館の作品は、黒のベレー帽を被り黒いコートを着込んだ4人の男がサイコロゲームに興ずる様を描くのですが、ここから対照的な静と動の二人の男を抽出して、画面には描かれない何か向かって驚く様子を捉えた作品もあります。
なぜ、廃棄したかといえば、ラファエル・コロネルの名を挙げるべきでしょう。
コルネルは1933年生まれの、鴨居より5歳年下のメキシコの画家です。昭和41年に三越画廊で個展を開き、日本でも知られた存在でした。
鴨居の絵はコロネルをベースにしているとささやかれたのです。鴨居にとってはショックだったでしょう。また、安井賞選考委員であった師宮本三郎の巧みな誘導があったと語る者もいたようです。
そうした画壇に嫌気がさしたのか、鴨居はスペインへわたり、昭和46年から52年までの6年間、海外で創作を続けることになります。
4.スペイン・パリ時代−あふれ出る創作意欲
スペインで鴨居は創作のピークを迎えることとなります。
黒ずくめの男達は酔いどれや廃兵となり、肉体はずっしりとした質量が付与され、より自然な人体の形と奥行きのある空間の中に存在します。むろん鴨居は外形的なリアルを求めてはいません、人物に自己の思い(それは幻視の世界というべきでしょうか)を託すのです。しかし、がっちりとしたマチエールは目を惹きつけ、鴨居のイメージとは別に充分な魅力を発しています。
佐伯祐三はパリの街角や壁を描くことで、存分に自己の思いを吐き出したのですが、鴨居の場合は異国の酔いどれや老婆、そして教会でした。
スペイン時代こそは鴨居にとってもっとも幸福なときであったと思われます。油絵を描くことに苦悩した安井賞受賞以前、そして帰国後、身を削って死に歩み寄っていった神戸時代には見られない逞しさを、作品に感じるのです。
廃兵も酔っぱらいも老婆も教会も、中へ中へと凝縮していく力に圧倒されます。そして、いずれもが高い水準でバリエーションを形成しているため、かえって、この作品がいい、あの作品がすばらしいというよりも、このシリーズといったマッスですばらしいと感嘆してしまうのです。
スペインからパリへ移ったのは1974年の秋で、鋼鉄の塊のような緊密な作風はいくぶん和らぎ、色彩も豊かになっていきます。ことに1976年の《蛾》や《風船》の白い背景の美しさ、そして《旅》の揮発性油の割合を多くした、おつゆ描きを重ねたかせた褐色の画面は、帰国後に備えての助走とも見なせるのではないでしょうか。
鴨居はスペイン時代の緊張感を解きほぐす時間を要したのだと思うのです。
次回は帰国後の神戸時代について述べます。
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