展覧会のご案内
2015年9月12日(土)〜10月25日(日) 会期中無休

没後30年 
鴨居 玲 展 踊り候え

没後30年鴨居玲展
 
開館時間

午前9時30分〜午後6時
※入場は閉場時間の30分前まで。

休館日 会期中無休
主催 石川県立美術館
共催 北國新聞社
協力 公益財団法人 日動美術財団



観覧料
一般 大学生 高中小生
当 日
 1,000円 800円 300円
団 体
  800円 600円 200円

 ※団体は20名以上。65歳以上の方、県立美術館友の会会員は団体料金でご覧になれます。
また、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者福祉保健手帳を持参の方、付き添いの方は無料。



2015年 9月12日(土)〜10月25日(日) 会期中無休
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●没後30年 鴨居 玲 展 −踊り候え−
会場/1階第7・第8・第9/2階第3展示室
主催/石川県立美術館
共催/北國新聞社
協力/公益財団法人 日動美術財団


 自己を厳しく見つめ、「いのちとは何か、人生とは何か」を鋭く問いかけた洋画家鴨居玲(1928-85)が、昭和60年(1985)9月7日、57歳でこの世を去って早くも30年になります。この間いくつもの大きな回顧展が開かれ、そのつど鴨居の作品は人々を魅了してきました。
 生の真実、いのちの明かりを描き出す鴨居の作品を前に、それぞれが自問自答を続ける、これは、重い行為です。こうした行為を強いる絵も珍しいのですが、それが大きな魅力となっているところに鴨居の絵の不思議さがあります。

 鴨居玲は金沢で生まれ育ち、金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)に入学、宮本三郎に師事し、早くから才能を認められました。卒業後は関西に移り、宮本たちの創設した二紀会を中心に作品を発表します。しかし、抽象絵画全盛の時代、制作の自信を失って南米へと旅立つのでした。鴨居の破天荒・破滅型の自己探求の旅が始まるのです。

 昭和44年(1969)41歳の時に、昭和会展優秀賞と安井賞を受賞し、一躍脚光を浴びます。しかし、飽きたらぬ思いは、スペインのバルデペーニャスに新天地を求めさせ、村人達との交わりの中から「酔っぱらい」「廃兵」「おばあさん」など、生涯のテーマをつかみ、代表作を生んでいくのです。その後パリへ移り、そして52年(1977)49歳で帰国。以後8年間、神戸にアトリエを構え《1982年 私》をはじめ、数々の自画像を描き続けたのでした。

 本展では油彩の代表作はむろんのこと、鋭く美しい線が刻まれるデッサンも数多く展示し、また鴨居が用いた絵筆、パレット、イーゼルなどの画材や遺愛品なども含め約100点をご覧いただきます。ぜひ、鴨居玲という魅力的な人物に触れていただきたく思います。

 さらに本展に合わせてコレクション第3展示室は、二紀展初出品作《青いリボン》や《石の花》《蜘蛛の糸》などの油彩作品と、鴨居の没後、アトリエに残されていた未完の作品、書簡、遺愛の刀剣など約50点を展示いたします。
 どうぞ鴨居玲の世界をご堪能ください。

 *このページは今後、鴨居の各時代について詳しく述べていきます。次回のアップにご期待下さい。


 *関連イベント
 *1階企画展示室の作品リスト
 *2階コレクション展示室「もうひとつの鴨居玲展」作品リスト


富山栄美子撮影鴨居玲ポートレイト
鴨居玲 富山栄美子氏撮影


鴨居玲作 夜(自画像) 笠間日動美術館蔵
夜(自画像)》 1947年 笠間日動美術館

鴨居玲作 出を待つ(道化師)
《出を待つ(道化師)》 1984年

鴨居玲作1982年 私
《1982年 私》 石川県立美術館

鴨居 玲 略 歴
昭和3(1928) 2月3日、石川県金沢市中川除町に生まれる
21 (1946) 金沢美術工芸専門学校(現金沢美大)入学
23 (1948) 第2回二紀展初入選
24 (1949) 第3回二紀展褒状受賞 二紀会同人に推挙
25 (1950) 金沢美術工芸専門学校卒業
34 (1959) 最初の渡欧
35 (1960) 二紀会退会
42 (1967) 二紀展再出品、再び同人に推挙
43 (1968) 二紀会会員に推挙
44 (1969) 第4回昭和会展優秀賞
第12回安井賞展安井賞受賞
44 (1969) スペインに渡る。1974年パリに移る。
48 (1973) 第27回二紀展文部大臣賞
52 (1977) パリから帰国。神戸に居を構える。
二紀会委員となる
57 (1982) 再び二紀会を退会
59 (1984) 兵庫県文化賞を受賞
60 (1985) 9月7日逝去、享年57

◆観覧料=一般1,000円 (800円) 大学生800円 (600円) 高中小生300円 (200円)
 (  )内は20名以上の団体料金

   
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没後30年鴨居 玲 展の構成  

 今回の鴨居展では、鴨居の創作活動を
 Ⅰ初期〜安井賞受賞まで
 Ⅱスペイン・パリ時代
 Ⅲ神戸時代−一期の夢の終焉
の3期に区分し、また、鴨居の画業に大きな位置を占めるデッサンを、これまでの回顧展より多く出品して、
 Ⅳ デッサン 
として、全4章で構成しました。以下各時代を述べていくことにします。

 まず、
[Ⅰ初期〜安井賞受賞まで]は、次の2期に分けることができます。
   
1.習作時代〜アンフォルメルへの対応期
   
 これは金沢美術工芸専門学校時代(以下美専)から、卒業後昭和30年代の抽象絵画(アンフォルメル)の流行期に鴨居が制作に悩み、油絵をやめ、パステルやガッシュで描いた時期です。自画像や後に教会シリーズへと繋がっていくシュール系の作品が描かれます。
   
 《観音像》は美専本科2年時に描き、第4回現代美術展(金沢)で石川県知事賞を得た作品です。長兄・明(あきら)がレイテ戦で生死不明の状態が戦後も続き、兄の無事を祈って描いたものと思われます。情念が渦巻くダイナミックな表現は後年の鴨居のスタイルにつながるものです。
   
 《時計》は描いた時期がはっきりしないのですが、前後の作風からみて昭和37年(1962)頃と思われます。抽象の全盛期、鴨居は模索を続けるのですが、毒々しい赤が印象的です。卵が割れて時計が生まれ落ちるのですが、地に落ちた時計はぐにゃりと溶け始めています。生まれた瞬間から失せていくもの、無常観を表現したのでしょうか。
 
2.ブラジル・南米〜パリ・ローマそして安井賞
   
 鴨居は安易な抽象画を描くことに虚しさを感じ、昭和40年(1965)に友人を頼ってブラジルに鴨居は行くのですが、どうもブラジルの気候風土は鴨居には合わなかったようで、「深刻な絵を描いているのがばかばかしくなってくると」日本の友人に書き送っています。
 
 《静物 ブラジルにて》は、洋梨がブラックホールに吸い込まれるかのような、いくぶんシュールな静物ですが、色彩は回復しています。この後、鴨居は油彩制作の復活を見るのです。
 そして油絵の制作に自信を持ち、帰国後の44年に画壇の芥川賞ともいわれた安井賞、そして昭和会展で優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びるのです。鴨居の画壇への本格デビューです。


  中央画壇デビューへの悦びも束の間、メキシコの画家ラファエル・コルネルとの類似性をささやかれたり、師宮本の辣腕による安井賞受賞を影でいわれるなど、ねたみとそねみに嫌気がさしたのか、昭和46年(1971)にスペインに鴨居は旅立ちます。

3.安井賞受賞作「静止した刻」
   
 鴨居はこの時期「静止した刻」と題する作品を続けざまに描きましたが、何作かは廃棄したようです。東京国立近代美術館と石川県立美術館の作品は、黒のベレー帽を被り黒いコートを着込んだ4人の男がサイコロゲームに興ずる様を描くのですが、ここから対照的な静と動の二人の男を抽出して、画面には描かれない何か向かって驚く様子を捉えた作品もあります。
 
 なぜ、廃棄したかといえば、ラファエル・コロネルの名を挙げるべきでしょう。
コルネルは1933年生まれの、鴨居より5歳年下のメキシコの画家です。昭和41年に三越画廊で個展を開き、日本でも知られた存在でした。
 鴨居の絵はコロネルをベースにしているとささやかれたのです。鴨居にとってはショックだったでしょう。また、安井賞選考委員であった師宮本三郎の巧みな誘導があったと語る者もいたようです。
 そうした画壇に嫌気がさしたのか、鴨居はスペインへわたり、昭和46年から52年までの6年間、海外で創作を続けることになります。

4.スペイン・パリ時代−あふれ出る創作意欲
 
 スペインで鴨居は創作のピークを迎えることとなります。
 黒ずくめの男達は酔いどれや廃兵となり、肉体はずっしりとした質量が付与され、より自然な人体の形と奥行きのある空間の中に存在します。むろん鴨居は外形的なリアルを求めてはいません、人物に自己の思い(それは幻視の世界というべきでしょうか)を託すのです。しかし、がっちりとしたマチエールは目を惹きつけ、鴨居のイメージとは別に充分な魅力を発しています。
 
 佐伯祐三はパリの街角や壁を描くことで、存分に自己の思いを吐き出したのですが、鴨居の場合は異国の酔いどれや老婆、そして教会でした。
 スペイン時代こそは鴨居にとってもっとも幸福なときであったと思われます。油絵を描くことに苦悩した安井賞受賞以前、そして帰国後、身を削って死に歩み寄っていった神戸時代には見られない逞しさを、作品に感じるのです。
 廃兵も酔っぱらいも老婆も教会も、中へ中へと凝縮していく力に圧倒されます。そして、いずれもが高い水準でバリエーションを形成しているため、かえって、この作品がいい、あの作品がすばらしいというよりも、このシリーズといったマッスですばらしいと感嘆してしまうのです。
 
 スペインからパリへ移ったのは1974年の秋で、鋼鉄の塊のような緊密な作風はいくぶん和らぎ、色彩も豊かになっていきます。ことに1976年の《蛾》や《風船》の白い背景の美しさ、そして《旅》の揮発性油の割合を多くした、おつゆ描きを重ねたかせた褐色の画面は、帰国後に備えての助走とも見なせるのではないでしょうか。
 鴨居はスペイン時代の緊張感を解きほぐす時間を要したのだと思うのです。

 次回は帰国後の神戸時代について述べます。

 

鴨居玲作観音像北國新聞社蔵
《観音像》1948年 北國新聞社
 
鴨居玲作時計
《時計》1962年頃 石川県立美術館
 
鴨居玲作生物ブラジルにて
《静物 ブラジルにて》1965年
 
鴨居玲作制した刻 東京国立近代美術館蔵
《制止した刻》1969年 東京国立近代美術館

教会
《教会》 1971年

鴨居玲作 風 金沢市蔵
《風》 1972年 金沢市蔵

鴨居玲作廃兵 笠間日動美術館
《廃兵》 1973年 笠間日動美術館

鴨居玲作風船 1976年
《風船》 1976年