今回は、点数は少ないのですが俵屋宗達とその後継者・俵屋宗雪、そして喜多川相説の名品を展示します。宗達では、まず「光悦色紙貼交秋草図」(県文)が注目されます。能書家としても知られた本阿弥光悦が、和歌などを揮毫する料紙を制作することは、宗達の工房の重要な仕事でした。本作は、その光悦と宗達の一連の協同作業の終盤に位置付けられるもので、いくつかの色紙には、やがて画家として独立した活動を展開する、宗達のあふれる才気が感じられます。そして善美をつくした造形が功徳となると説く、法華経信仰に立脚した美意識が、卓越した装飾技法によって独自の表現世界を生み出した「槇檜図」(県文)は、宗達晩年の名作として近年ますます評価が高まっています。
この宗達の後を継いだのが、宗雪でした。加賀藩三代藩主・前田利常は、四女の富姫が八条宮家に嫁いだ際に、八条殿内に御内儀御殿を造営し、その襖絵を宗雪に描かせるなど、宗雪を重用しました。しかし「群鶴図」(県文)の制作に際し、利常は宗雪に狩野派風の表現を要求しています。こうした点が、京文化の影響を受けながらも明確な一線を画す、加賀文化の特徴といえます。そして宗雪を継いだ相説は、尾形光琳に大きな影響を与えた画家でした。相説も加賀で活躍した画家ですが、「秋草図」(県文)の表現には、五代藩主・綱紀の博物学的関心が強く反映していると考えられます。