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学芸員コラムColumn

2019年12月10日展覧会#52 特別陳列「古九谷と加賀蒔絵の至宝」に寄せて 1

重要美術品《古九谷 色絵畦道図角皿》個人蔵

 12月22日(日)まで、当館第2展示室で開催している特別陳列「古九谷と加賀蒔絵の至宝」には、ご所蔵者のご高配により貴重な文化財が展示されています。そこで今回は、47年ぶりの公開となった重要美術品《古九谷 色絵畦道図角皿》(個人蔵)の深意を読み解きます。本作は、素地を焼成する際の山割(窯疵)を利用して、畦道を俯瞰したような意匠を展開している所が見所となっています。本作については、モダンアートだとか、ひび割れを面白さに高めたなどと評されますが、描かれた意匠の深意は、まだ読み解かれていないようです。そこでまず、「畦道」がXの形であることに留意しつつ、高台内部は格子内に十字文を配し、各々の中心には赤で卍を描いている事実から必然的に帰結される、キリスト教信仰の観点から読み解きを始めたいと思います。
 ローマ在住のリカード・モンタナリ氏は、日本で17世紀初頭に制作された「泰西王侯騎馬図」(サントリー美術館蔵)とほぼ同一の組成を示す緑の顔料が、有田町の山辺田遺跡出土の「古九谷様式」色絵陶磁片にも使用されているとの分析結果を発表しました。(Riccardo Montanari et al. The Origin of overglaze-blue enameling in Japan:New discoveries and a reassessment, Journal of Cultural Heritage vol.37 pp.94-102 2019.
 同氏はこの顔料を、イタリア人イエズス会宣教師・画家で、1612年以降九州のセミナリヨで西洋画技法や聖画制作の指導にあたったジョバンニ・ニコラオ(15601626)が母国から持参したものとしています。論者は、山辺田遺跡出土の当該陶磁片は、出土状況から加賀の九谷で制作されたものが持ち込まれたと考えているのですが、いずれにせよ、古九谷に限らず、日本の初期色絵とセミナリヨで聖画制作にあたった画家との接点が科学的に立証された事実は重要です。
 日本におけるキリスト教信徒の増大により、キリスト像や聖母子像、聖人像などの聖画の需要が逼迫します。そこで、イエズス会は日本人を教育して聖画制作にあたらせたのですが、江戸幕府の禁教令により、公然と聖画を描くことができなくなりました。同時に、紙や布に描いたものを秘匿することの限界も痛感されていたことでしょう。加賀藩三代藩主・前田利常は、こうした状況を見据えたうえで古九谷プロジェクトを立ち上げました。
 1637年に興味深い事実が列挙されます。まず、3月に佐賀藩は有田から日本人陶工800人余を追放します。6月に前田利常は平戸、長崎に家臣を町人に変装させて派遣し、茶器や渡来織物の購入に当たらせます。そして10月に島原の乱が勃発しますが、前田利常はその時西国大名の出陣に支障を来すほどに大量に雇船しています。日本人陶工のみが追放された背景には、窯の燃料となる松材の保護という名目以上に、キリシタンの排除との目的があったと考えられます。長崎に派遣された加賀藩士は、町人に変装したことでビジネスライクに追放されたキリシタン陶工と接触を持つことができたでしょう。そして島原の乱時に、色絵磁器生産技術の移転を図るために、多数の陶工が海路加賀の地に移送されたとの状況が帰結されます。
 それゆえに古九谷プロジェクトは、1.有田を追放されたキリシタン陶工、2.セミナリヨでキリスト教絵画を学んだ日本人画家、3.野々村仁清周辺の色絵陶工、4.日本・東洋の伝統的画題に精通した熟練画家、5.オランダ、プロテスタントの宗教的寓意画に精通した画家・商人らが、文字通りONE TEAMとして、文化によって江戸幕府に挑戦した前田利常の思いに全力で応えた成果と考えることができます。江戸では生産できない色絵磁器に、幕府が禁止したキリスト教を玄妙に含意する意匠を、美しく、大胆、斬新に描いた古九谷は、まさに利常が仕掛けた文化決戦の「最終兵器」であり、高山右近を擁した加賀藩のキリスト教文化を記憶する媒体でした。
 ここで《古九谷 色絵畦道図角皿》に立ち返ります。九谷のキリシタン陶工やセミナリヨ出身の画家は、Xの窯疵が生じた角皿の素地に、ある天啓を感じたことでしょう、なぜなら、Xはギリシャ語のキリストの頭文字であり、さらにキリスト自身も、“私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければだれも父のもとへは行けない”(ヨハネ福音書14-6)と語っています。ここにXが道と認識されるように意匠化した、深遠な仕掛けがあったのです。したがって、いずれも十字架の形式である十字や卍を裏面に配したのは、その深意の理解を助けるためであり、日本・東洋の絵画に精通した画家が梅の折枝文や梅花を描いた理由も、ここから読み解くことができます。梅は冬の闇を破る光に満ちた春の先駆けであり、自身を“世の光である”(ヨハネ福音書8-12)とも語ったキリストを、東洋文化の文脈に置き換えて表象したものと解釈することができます。
 救い主キリストの生誕を祝うクリスマスが、春を希求する冬至の時期である事実と、《古九谷 色絵畦道図角皿》が、この時期に公開されるに至った偶然と必然の交錯に思いを致しながら筆をおきます。(担当課長 村瀬博春)

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