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学芸員コラムColumn

2019年1月16日展覧会#41 青木外吉と板谷波山、吉田三郎

企画展「石川近代美術の100年」関連連載その3

 

青木外吉《漁夫》の画像

青木外吉《漁夫》石川県立工業高等学校蔵

金沢に生まれた吉田三郎は、明治36年(1903)に、石川県立工業学校(現、石川県立工業高等学校)の窯業科に入学しています。当時、窯業科の教員は板谷波山でした。波山は東京美術学校彫刻科を卒業後、教員として県工に招かれていました。吉田は波山の彫刻に触れ、彫刻の道に進むことを決心したようです。
 しかし、同年8月に波山は製陶に専念するために東京へ行ってしまいます。波山は自分の後任として、東京美術学校で後輩の青木外吉を推薦し、青木が県工の教員となりました。彼は石川県出身の木彫家であり、着任後は県工で生徒の指導を中心に活躍します。
 吉田は県工卒業後、東京田端の波山宅付近に下宿し、波山の窯場をアトリエ代わりにしながら、明治40年(1907)に東京美術学校へ入学します。この時期の田端には多くの文士・美術家が住んでいて、金沢出身の室生犀星もその1人です。
 吉田は板谷・青木の両師からの影響を受けています。また、朝倉文夫の主催する朝倉彫塑塾でも学んでいます。この板谷・青木から吉田へつながる彫刻の系譜は、都賀田勇馬、松田尚之、畝村直久、木村珪二、堀義雄、中村晋也など次世代の彫刻家へとつながっていきます。石川県の彫刻界においても、県工多大な影響を与えたといえるでしょう。(学芸員 奈良竜一)
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