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学芸員コラムColumn

2018年12月4日その他【美術館小史・余話10】初期の頃の学芸員という職種

右:国宝《色絵雉香炉》、左:重要文化財《色絵雌雉香炉》、いずれも野々村仁清 作

※本コラムは平成12年から平成16年にかけて、当館館長・嶋崎丞が「石川県立美術館だより」において連載したものの再録です。

 今日「学芸員」といえば、大方の人は博物館における専門職員のことであるということは知っているが、旧美術館が開館して間もない昭和30年代頃は、「新聞社の学芸部職員のことですか?」といわれる程、一般にはなじみの無い職業であった。
 しかし前号で述べたように、博物館法の適用を受け、登録博物館として認定を受けるためには、学芸員の有資格者を置かなければならないことになっていた。
 私はその頃極めて少ない有資格者の一人であったことが幸いして、設立されたばかりの旧美術館に就職することができた。
  しかし、いざ美術館に勤務してみると、美術に関して極めて精通した大先輩がおり、その先輩から「君は私らが持っていない資格を有する学者先生なのに、何も全く知っておらん」と毎日皮肉をいわれ、資格を持って就職したこと自体が苦痛に感じられる程、学芸員という職種は、特殊な職業であるかのように思われていた。
 今日でも学芸員は、勤務する博物館が収蔵する資料を中心とする「研究者」であるかのように思われているが、そのことは当然必要であるが、それにも増して博物館へやってくる人や地域の人々に対して、資料を通して博物館の教育活動を実施していく実践者であることが求められている。
 そうした学芸員像が、初期の頃は全く理解されておらず、資格を持って現場へ飛び込んでいった若き学芸員たちは、新しい博物館像を確立していくために、大変苦労した時代であった。
(嶋崎丞当館館長、「石川県立美術館だより」第211号、平成13年5月1日発行)

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